かつて議員を志した数多の先人の中で、これほどまでに何もしなかった人はいるのだろうか。いや、何もできなかったというべきか。 FBでも一部記したが、松前町議会議員を志したのは選挙のちょうど1年前のことだった。当時の自分といえば、患っていた病から回復したものの、(おそらく)離婚とそれに関するあれやこれやから完全に立ち直れてはおらず、仕事もせずただ家でボンヤリ過ごしているだけの中年であった。
どのタイミングだったか、何故か沸々と湧き出てきたのである、「このままで人生終わっていいのか?」という疑問が。まずは仕事を探した。しかし特異なスキルを持ち合わせるでもなく、45の唯の男に何ができるというのか。
「お前、今まで虐げられてきたんだろう?見返してやりたいと思わないのか?」どこかから声が聞こえた。
何かしないといけない。「それ」をできる仕事は?たどり着いたのが町議会議員であった。家族なし、職なし、もう何も失うものはないのである。当HPの「政策」にも記したが、世の中のあらゆるイジメ、差別、ハラスメントをなくしたいという気持ちが強くなった。
町議会議員としう仕事を認識したのがちょうど1年前。何をしたらいいかわからず、まずは太りすぎたこの体をどうにかしたいと思った。そしてジムに毎日通うようになり、人と話すことが億劫ではなくなってきた。
どうせ家族も反対するだろうからという思いで誰にもそのことは喋らず、単身立候補の説明会に臨んだ。7月の終わりのことである。役場の会場に意気揚々と乗り込んだが、一人で席についているのは自分だけで、あとは皆後援会の方だろうか、付添人がいた。この時点(選挙1か月前)でもまだわかっていなかった…。選挙選は既に始まっているのだということを。
何か重大なことが欠損しているというか、後れを取っているというか、超マイペースな自分にも、とにかく「まずいな」という認識はできた。そこからあわてて業者の方と打ち合わせをして政治活動用のビラを作り、短い期間ながらも毎朝各戸にお邪魔をした。
しかし何も知らない自分はそれで満足してしまった。8月21日選挙が告示され、ポスター貼りが始まった。O君と二人で町内63か所にポスターを貼ること。信じられないことに、これが唯一の選挙活動であった。
もともと選挙カーに乗る気はなかった。何より、うるさい。そしてお金の無駄遣いだと思った。辻立ち、集会の類もやらなかった。何をしていいかわからないから、やれなかったいうのが真相である。
ふたを開けてみれば定員14人中14番目での当選となった。新聞等で報じられていたように、当初は立候補人がちょうど14人しかおらず、無投票で選挙が終わる公算が高かった。告示日に急遽立候補人が立ち、選挙戦に突入したことは賛否両論あろう。しかしながら今回、選挙というものを知れたこと、加えて14人中14番目という立ち位置をあえて知らせてくれたことを鑑みれば、自分にとって選挙戦を戦えたことは非常に意味のあることであった。
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